地域に根付く酒蔵として、生かし生かされ400余年

石川酒造株式会社 代表取締役 蔵元  石川 彌八郎

本事業では、地域内外の中小企業・スタートアップや大企業、大学等が連携して、地域の課題解決を図るためのプロジェクトや、多様な主体が交流できる会員組織(コミュニティ)の立ち上げなど、イノベーション創出に向けた取組を進めています。このインタビュー連載では、多摩地域のイノベーションをリードする注目企業をご紹介することで、皆様に多摩地域の魅力を発信していきます。

東京都・福生の地に江戸時代から続く造り酒屋があります。『多摩の恵』『多満自慢』を始めとする銘酒で知られる石川酒造です。明治維新、太平洋戦争、バブル崩壊――。長い歴史のなかで何度も時代の転換期を乗り越えてきた伝統ある酒蔵には、いつの時代も変わらない信念がありました。第18代当主・石川彌八郎氏が語る、地域で長く愛される秘訣とは。

戦後の農地改革により、酒造りに専念

石川代表は18代目と伺っています。まずは石川家の歴史を簡単にご紹介いただけますか

石川:当家の初代は戦国時代末期の生まれで、北条家に仕えていた武士だったと思われます。記録として残っているのは江戸時代中期以降で、この地で農業を営んでいました。実は、石川家には代々伝わる刀があり、長男しか見ることを許されておりません。それが何を意味するかというと、戦国時代に関東を支配していた後北条氏を、豊臣秀吉が滅ぼしたさいに、敗戦の将についていた石川家は武士を辞めて農家にならざるを得なかったのではないかということ。農家が刀を持つことは許されないため、秘密裏に長男だけが代々受け継いできたのではないかと考えています。

酒造りをはじめられたのはいつごろからですか

石川:1863年に13代目がはじめました。当時、お酒は主に関西から江戸に運んでいましたが、財政難に喘ぐ幕府は貨幣が江戸から流出するのを防ぎたかったのでしょう。石川家は米の蓄えもあったため酒造りを命じられました。明治に入り14代の時代になると事業を拡大してビール造りにも挑戦しています。

 でも、このころ酒造りはまだ副業の範疇を出ていませんでした。それが本業となったのは終戦後です。「農地改革により土地を失い、酒造りに懸けなければならない」といったようなことを、私の祖父が日記に残しています。

多摩の地で多摩の水を使って造られた『多満自慢』

酒造りのこだわりは何でしょうか

石川:昔ながらの慣習どおり、秋から初春のころにだけ仕込みを行う「寒造り」と言われる造り方をしています。 使用する仕込み水は敷地の地下から汲み上げる多摩の天然水。 仕込み作業は、明治期に建築した登録有形文化財の土蔵の中で行います。このような環境のなかで、ていねいに、蔵人たちがそれぞれの工程を責任持って担当することで、銘酒『多満自慢』を造っています。

時には営業マンに変身。若手の杜氏(とうじ)が活躍

酒造りの責任者である杜氏の前迫さんはまだ30代とのことですが、どのような方ですか

石川:

前迫さんは学生時代から弊社でアルバイトとして働いていて、そのまま正社員として就職しました。杜氏に抜粋したのは、彼が30歳のときです。

本来、杜氏は製造責任者でもあるため、原料調達から出荷まで全部を見てほしいですが、昔ながらの慣習で発酵までしか見てくれません。

そこで、若くて柔軟な考えができる彼に務めてもらうことにしました。今では忙しい酒造りの合間を縫って、杜氏が直々に酒屋さんへの営業にも同行しています。「今年の米はどうだった」とか、「どういう方針で造っているのか」といったことを伝えるにはネクタイを絞めた営業マンより、半纏を羽織った杜氏のほうが説得力があるんでしょうね。酒屋さんも喜んでくれています。

杜氏を務める前迫晃一さん・38歳(左)

祖父のビールを復活させて、会社の業績も復活

日本酒だけでなく、地ビールも人気です。ビール造りをはじめたきっかけは何だったのでしょうか

石川:バブル崩壊後、弊社の経営も難しい状況が続くなかで思いついたのが、かつて祖父が作っていたビールです。以前から、祖父のビールを復活させるのが私の夢でもありましたし、視察で訪れたドイツなどで飲んだビールに感動し、日本に広めたいと思ったのも動機でした。テキストを入力

 当時、ドイツの醸造所ではレストランが併設されていて、地元の方々が楽しそうにビールを飲みながら井戸端会議をするなど、醸造所が地域コミュニティの核として機能していたのです。その光景が「地域の役に立ってこその石川酒造」との思いを再認識させてくれました。そこからヒントを得てはじめたのが、クラフトビールが飲めるイタリアレストラン『福生のビール小屋』です。いまでは多くの地域の方々にご利用いただいています。

レストラン『福生のビール小屋』

「酒飲みのテーマパーク」で外国人見学者数日本一を目指す

公式サイトでも謳われている「酒飲みのテーマパーク」構想ですね

石川:弊社はレストランのほかにも、酒蔵に宿泊できるゲストハウスや、直売店『酒世羅』、酒蔵見学など様々な事業に取り組んでいます。なかでも酒蔵見学は、都心からのアクセスがよく、レストランを併設しているという特長を生かして、コロナ禍前は外国人観光客が年間2000人ほど訪れていました。今後も日本で最も外国人見学者が多い酒蔵を目指して頑張りたいです。

お金は流れても、気持ちは蓄積する

第18代・石川彌八郎を襲名し、蔵元になられて20年が経ちました。石川酒造の経営者として大切にしてきたことはありますか

石川:お金は人の気持ちを入れる器だと思っています。良心的な商売をしていただいたお金には感謝の気持ちが込められていますが、変な商売をしてだまして集めたお金には憎しみや恨みが込められています。お金はやがて流れてなくなりますが、人の気持ちは蓄積するんですね。特に憎しみは何年も、場合によっては何代にも渡って残ります。反対に、感謝の気持ちが積み上がっていれば、困ったときに周りが助けてくれる。だから一時的に儲かる商売よりも、長い目で見てお客さんの信用を大切にする。これが石川家が長年大切にしている信念です。

インタビューを受ける石川さん

酒蔵が地域と組んで新たな価値を作り出す

地域の人々を大切にしてきた歴史があるなかで、多摩地域の企業とのつながりはありますか

石川:最近ですと、あきる野市にあるワイナリー「ヴィンヤード多摩」さんと連携してワインを造った取り組みが挙げられます。ワイナリーの醸造施設をお借りして、弊社の杜氏とスタッフがヴィンヤード多摩さんの農場で栽培されたぶどうを使ってワインを造りました。昨年、造ったワインをちょうど今年の12月から発売します。

 ほかには、西多摩郡の瑞穂農芸高校さんとの取り組みがあります。酒粕やビール粕を豚の飼料として使ってもらい、生徒さんが育てた豚を「福生のビール小屋」で提供したり、2年前から経営に携わっている「大多摩ハム」でハムやベーコンに加工して販売したりしています。

 これからも地域を大切にしながら、地域の方々とともに歩み続ける石川酒造でありたいですね。

会社情報

会社名石川酒造株式会社
設立1863年
本社〒197-8623 東京都福生市熊川1番地
WEBサイト https://www.tamajiman.co.jp/
事業内容国の登録有形文化財に指定された建造物を6 棟有する歴史ある酒蔵。日本酒の製造・販売に加えて、クラフトビール造りにも力を入れている。自社商品の直売店、イタリアンレストラン、石川家・酒造り・ビール造りの歴史を学べる史料館、酒蔵に宿泊できるゲストハウスも経営しており、大きなケヤキが見守る敷地には、ゆるやかに時間が流れ、季節ごとの日本酒やビールの魅力に出会うことができる。

多摩イノベーションエコシステム促進事業とは

東京・多摩地域で、イノベーションを起こし続ける好循環(エコシステム)を作ることを目指して、
中小企業や大学・研究機関、スタートアップ等の多様なプレイヤーが交流し連携を強める取組を展開しています。

TOPページへ