立川×ファッション。見出した“多摩発アパレル”の可能性
株式会社タチカワファッションラボ
代表取締役 余田 昭雄

本事業では、地域内外の中小企業・スタートアップや大企業、大学等が連携して、地域の課題解決を図るためのプロジェクトや、多様な主体が交流できる会員組織(コミュニティ)の立ち上げなど、イノベーション創出に向けた取組を進めています。このインタビュー連載では、多摩地域のイノベーションをリードする注目企業をご紹介することで、皆様に多摩地域の魅力を発信していきます。
立川市を拠点にアパレル製品の受託生産を手がける株式会社タチカワファッションラボ。代表取締役の余田昭雄氏は、会社員時代に培った経験と人脈を生かし、地域に根差したアパレル製造の新たな可能性に挑んでいます。今回は、余田氏に事業の取り組みやその背景についてお話を伺いました。
アパレル業界での原点。ニットメーカーでOEMの世界へ
- 独立前はどんなキャリアを歩んできたのでしょうか?
余田:新卒で就職したのは、千駄ヶ谷にある、大阪本社のニットメーカーでした。最初は展示会用の商品を作り、それを小売店に向けて販売する、いわゆる卸の仕事です。駅前のブティックやチェーン店を回って、新規の販路を開拓していく日々でしたね。その後、アパレル業界の流れが少しずつ変わり始めて、卸売よりもブランドのOEM製造が主流になっていきました。特にヤングファッション系のOEMが当たり前という時代になっていったんです。そんな中、当時の会社はミセス向け商品の卸売が主力だったこともあり、一時は業績が傾いてしまって。私自身はミーハーなところがあって、当時流行っていたヤング系のOEMを少しずつ手がけ始めていたんですね。社内では「何をやってるんだ、あいつは」と見られていた部分もありました。
しかし、結果的に、そのOEMの仕事がどんどん軌道に乗り、会社も少しずつ持ち直していきました。そうした実績を評価してもらって、なかなか簡単には任されない海外でのものづくりにもチャレンジさせてもらえるようになりました。比較的早い段階で、韓国や中国でのOEM製造を任されるようになったんです。

中国で築いた“キーパーソン”たちとの関係
- そのとき出会ったOEM製造の委託先の方々とは、今もつながりがあるのですか?
余田:今でもしっかりとつながっていますし、そのうちの3人(3社)は、現在の事業においても欠かせない存在、いわばキーパーソンになっています。当時、中国での仕事では通訳を兼ねた担当者がついてくれていたのですが、私より少し年下で年齢も近く、仕事終わりに一緒に飲みに行ったり、仕事中に意見がぶつかって言い合ったりと、共に切磋琢磨しながら関係を築いてきました。その後、私が商社の子会社に転職した際も、現地工場を使い続けることを条件に交渉するなど、彼らとの関係を大切にしながら歩んできました。そうしてお互いに成長してきた実感があります。
当時は通訳兼現地スタッフだった彼らも、今ではみんな50歳前後になり、それぞれが工場を経営したり、貿易会社を立ち上げたりしています。私が3年前に「自分で事業を始めようと思っている」と話したときも、「できる限り協力するから、一緒に頑張っていこう」と背中を押してくれて。今も変わらず良い関係が続いています。中国であっても小ロット生産が可能なのは、まさに彼らの協力あってこそ。やはり、信頼できる生産背景がなければ、今のビジネスは成り立ちません。そこが弊社の大きな強みです。
50歳で会社を飛び出し独立
- 会社員から独立し、ご自身で事業を始めるようになった経緯を教えてください。
余田:もともと好奇心から会社員時代に立川創業塾に通い、起業についても勉強していたんです。当時はまだ踏ん切りがつかず起業には至りませんでしたが、あるとき新しく就任した社長とまったくウマが合わなくて……。営業メンバーを集めて「新規事業をどうするか」といった会議が開かれても、なぜか自分の提案だけは許可が下りない。そんな状況が続く中で、「今、辞めたほうがいいかもしれない」と思うようになり、50歳という節目を機に思い切って会社を飛び出しました。
最初は「日本企画のアパレル製品を中国に卸売販売する」事業で創業しました。中国とのネットワークを生かしてビジネスを始めようと考えたんです。ちょうどそのころは「爆買い」が流行し始めた時期で、私が出張するたびに「多少高くてもいいから、日本のブランド服を買ってきてほしい」と頼まれることが多く、盛り上がりを肌で感じていました。しかし、ちょうどその矢先にコロナ禍が深刻化し、中国では都市封鎖(ロックダウン)が相次ぎ、経済も大きく落ち込み始めていました。事業開始から半年ほど経ったころ、中国側のパートナー企業から「いったん事業を休止したい」と相談を受けることになりました。

何気ない会話から見えた、新たなニーズ
- そこから現在の事業の形へと、どのように展開されていったのでしょうか?
余田:途方に暮れていた時期ではありましたが、当時は「ビジネスト」や「立川創業応援塾」など、起業に役立ちそうな場所には積極的に参加していました。30人くらいのメンバーをまとめて「飲みに行こうぜ!」なんて言っているような、いわばムードメーカー的な立ち位置でした。
そうした創業仲間や地域の異業種の方々との交流の中で、「中国向けのビジネスがダメになってしまって、ちょっと困っていて……」と話したところ、ある人から「実は服を作りたいんだけど、なかなか作れるところがなくてね」と声をかけられたんです。建築系の作業服に関する話でした。たとえば他社では色は選べても、デザインまでオリジナルで作れるところは少ない。つなぎをオーダーしようとしたら、「1着5万円」と言われたと。「そんな高いの?」という会話から、「じゃあ、ちょっと作ってみてよ」と話が進み、少しずつ取り組み始めました。
その時初めて「立川でも服のオーダーってできるんだ」と気づきました。しかも「安いね」「いいね」と喜んでもらえて、皆さんの反応がすごく新鮮で。「いいものができた!」と感動してもらえるあの感じ。それを久しぶりに、しかもすごくフレッシュな形で味わえたんです。会社員時代は、いくら成果を出しても「まあ、それが当たり前でしょ」と言われがちだったので、余計にそう感じました。「やっぱり、こういう感動をもらえる仕事っていいな。これが自分の原点だったよな」と、あらためて思い出させてもらった出来事でした。

多摩イノベーションコミュニティが生んだ協業
- さまざまな顧客のオーダーメイドアパレルを手がけていらっしゃいますが、多摩イノベーションエコシステムがきっかけとなったプロジェクトもあるとうかがいました。
余田:はい、多摩イノベーションコミュニティのリバースピッチで、沿線まるごと株式会社の方と名刺交換をさせていただいたことがきっかけでした。その際、「Satologue(さとローグ)」という古民家を活用したホテルを運営していて、従業員の方が着るユニフォームを作りたいというお話を伺ったんです。「多摩地域の企業にお願いしたい」という思いがあるとのことで、後日、多摩イノベーションコミュニティのイベントで再びお会いした際に話が一気に具体化しました。
制作したのは、麻100%の天然素材を使った完全オリジナルのアパレルです。サンプルは4回ほど試作し、色も麻をイメージした深いグリーンに染め上げました。ミリタリーテイストの特注ボタンをあしらうなど、細部までこだわり抜いた仕上がりになっています。
Satologueさんの中にはすでにしっかりとしたコンセプトがあり、それをどう形にしていくかが私たちの役割でした。とはいえ、コストが膨らみすぎないようにも注意が必要で、そこは丁寧に調整しながら進めていきました。特に意識したのは、イメージのすれ違いをできるだけ減らすこと。言葉だけのやりとりではどうしてもズレが生まれてしまうので、「ネットでも雑誌でもいいので、イメージに近いものがあれば教えてください」とお願いし、それをもとに中国で素材を集めて提案。目に見える形でやりとりを進めることで、ズレを防ぐ工夫を重ねました。
そのほかにも、多摩イノベーションコミュニティのワークショップでご一緒したワイドリンク株式会社さんのTシャツを制作したり、先日は株式会社キャリア・マムの堤社長とお話しする機会があり、今後ぜひ協力していきましょうという流れにもなりました。こうして、多摩イノベーションコミュニティを通じて仕事が広がっている実感がありますし、本当にありがたいご縁だと感じています。

“競馬×ファッション”で勝負。長く愛されるEC商品を目指して
- 自社で制作された競馬応援TシャツをECで販売されているそうですね。
余田:自分で事業を始めたとき、それまでEC販売をやったことがなかったので、「一度は経験しておくべきだ」と思ってチャレンジすることにしました。ただ、普通のファッションアパレルだと流行の移り変わりが早く、売れ残ればすぐに在庫になってしまう。だからできるだけ長く売り続けられて、“腐らない”商品を作れないかと考えたんです。
そこで思いついたのが、昔から好きで続けていた「競馬」でした。競馬場に行っても、観客の多くは普通の服を着ていて、野球やサッカーのように応援グッズで盛り上がっているわけではないんですよね。そんなとき、「勝負服」に目をつけたんです。ジョッキーが着る勝負服って、ストライプや水玉など、けっこう派手で個性的じゃないですか。それをTシャツにしたら、応援するジョッキーの勝負服を着ることで、その馬ごと応援していることになるし、盛り上がるきっかけになるかもしれない。そう思って、「これ、やってみよう」と思ったのが始まりです。
- 独特の柄や色使いが印象的ですが、権利関係はどのようにクリアされたのでしょうか?
余田:あのデザインは、実は馬主を表す「勝負服」の柄なんです。馬主ごとに異なり、レース中に馬を識別するための目印として用いられています。権利関係については、事前にしっかり調査しました。あの柄は、いわゆる“デザイン”として登録されているものではなく、意匠権や商標権の対象にはなっていないんです。勝負服のデザインは、丸・三角・線といった限られた図形やパターンを組み合わせて構成されており、個別の創作物というよりは、定型的なルールに基づいたものとされています。この点については、弁理士の先生にも確認し、「商標や意匠に抵触することはない」と太鼓判をいただきました。

地域の課題にファッションで応える
- 今後、新たに挑戦したいことはありますか?
余田:現在は、「オリジナルアパレルの制作は身近で、リスクも少ないことを知ってもらうこと」、そして「立川に“タチカワファッションラボ”というアパレルメーカーが存在していること」を地域に広く周知することに力を入れています。今後は、素材開発や機能的なデザインの開発にも挑戦していきたいと考えています。たとえば、地元の病院と連携して新しい素材を開発したり、寝たきりの方のために工夫された衣服の仕様を提案したりと、福祉や医療の現場に役立つアパレルづくりにも取り組んでいけたらと考えています。立川をはじめ多摩地域には、建築業や介護福祉事業を営む方が多くいらっしゃるので、将来的にはそうした事業者と連携して、用途に応じた素材や機能性ウェアの共同開発ができることを期待しています。
また、多摩エリアにはアパレル業界での経験を持つ方が多く、出産や子育てを機に業界を離れたデザイナーさんなども多くいらっしゃいます。そういった方々に「多摩地域でもアパレルメーカーの仕事ができる」という選択肢を提供し、就労の機会につなげていくことができれば、地域におけるアパレル業界の活性化にも貢献できるのではないかと考えています。
会社情報
会社名 | 株式会社タチカワファッションラボ |
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設立 | 2022年10月 |
本社所在地 | 東京都立川市曙町2-8-28 ミライズ立川 |
ウェブサイト | https://tachikawafashionlab.site/ |
事業内容 | オリジナル作業服・制服やイベントTシャツの制作/ファッションブランド向け海外OEM製造/国内プリントTシャツの制作 |